
高岡醸造の歴史
昭和24年 高岡 徳浜により創業。
昭和40年 高岡醸造株式会社設立。
昭和41年4月1日 単式蒸留焼酎製造免許取得。
昭和53年12月25日 スピリッツ製造免許取得。
昭和54年 日本初のゴールドラム「RURIKAKESU RUM」の製造販売。
元々はお酒の販売店からのスタート。
トルネード、kingRum、原酒等も販売していたが現在では、終売してしまいました。
二代目社長 高岡善吉
設立したのは昭和22年。正式に免許を取り操業を始めたのが昭和25年。
先代の基礎を気づいたのは徳浜。会社の組織となってからは、初代は善吉になる。
元々は理科の教員であったが、
父の徳浜(明治32年5月10日生まれ)が手掛けた酒造りを引き継ぎ、ラムの研究に打ち込み
今の高岡醸造の発展の基礎を作り上げる。
黒糖焼酎が生まれるルーツとなった黒糖酒に目を向け、昭和51年からサトウキビの絞り汁を原料に酒を造る実験に着手していた。三年の試行錯誤を経て、黒糖をパパイヤから自社培養した天然酵母で仕込む製法を確立し、日本初のゴールドラムとして昭和54年に「RURIKAKESU RUM」を発売した。
「酒造りはそのものは、そう難しくはないが、問題は香りと味。酒はこの二つで決まるといっても過言ではない。どんなに良い製品をつくってもの、販路を広げ流通に乗らなけらば造ったとしてもなんの意味がない。」と考えていた。
「生き残るための瓶詰会社が一つにまとまれば、外敵に負けっるわけがない」とこうして善吉の六社への説得が始まり、現在、六社の瓶詰会社で黒糖焼酎を造り、そのすべてを奄美酒類㈱に供出して調合。共同瓶詰にして、ただ一つの「奄美」という銘柄で出荷を始めた。
現在 三代目 高岡 秀規
現社長秀規は,当時の<ルリカケス>味に納得がいかず、
味への深みを求めて試行錯誤し数々の実験を繰り返し、現在のラム酒が出来上がる。
また、平成28年には樫樽に20年以上の長期熟成させた<小夜曲(セレナーデ)>を完成させ、
わずかな量ではありますが、あまりの人気により完売することに成功した。
また、社長の秀規は現役の徳之島町長を務め、親子二代に渡り徳之島町の町政に携わり、
島のために激務をこなし、休みの日には蔵へ足を運び職人の顔に戻る。