ラム酒には残酷な過去がある
ラム酒のイメージは「海賊」「南米」「レゲエ」がありますよね。
実は、悲しい過去があり誕生したお酒なのです。
奴隷達のエネルギーを補給したり、御しやすくするための道具として用いられていた。また、ラムは当時の船乗りが恐れていた壊血病の特効薬と信じられていたため、商船や海賊船、海軍などの船や港の酒場に置かれていた。
エリック・ウイリアムズの言葉「砂糖のある所に奴隷有り」と。
ラム酒の歴史は、学生の頃世界史で勉強した「奴隷貿易」・「三角貿易」などに深くかかわってくるのです。

三角貿易とは
三角形の頂点にあたる地域は、ヨーロッパ・西アフリカ・西インド諸島の3地域。辺にあたる貿易ルートはヨーロッパの船による一方通行となっており、また、特定の海流に乗っている。
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17世紀から18世紀にかけて、イギリスをはじめとするヨーロッパでは喫茶の風習が広まり、砂糖の需要が急激に高まった。それに伴い、砂糖を生産する西インド諸島およびブラジル北東部などでは労働力が必要となった。
こうした状況の下で、ヨーロッパから出航した船は、カナリア海流に乗って西アフリカへ繊維製品・ラム酒・武器を運んだ。輸出された武器は対立するグループ間へ供与され、捕虜(奴隷)の確保を促すこととなった。それらの品物と交換で得た奴隷を積み込み、南赤道海流に乗って西インド諸島やブラジル(ブラジル南東部へはブラジル海流)へと向かい、交換で砂糖を得て、メキシコ湾流と北大西洋海流に乗って本国へ戻った(奴隷貿易)。こうして、ヨーロッパ→西アフリカ→西インド諸島→ヨーロッパという一筆書きの航路が成立し、「三角貿易」と言われた。奴隷の一部はアメリカ合衆国南部へと輸出され、多くは綿花のプランテーションで働かされることとなった。綿花はイギリスの織物工場へ輸出され、産業革命の基盤になったとされている。貿易の平均的な利益率は10%-30%といわれている。(Wikipediaから引用)
上記に記載しているとおり、ラムは大規模なプランテーションを作るため連れてこられた奴隷たちに命令を聞かせるアメとして扱われていたそうです。
奴隷のアメとムチのアメとして短期間で広まったラム。
ところが、いつしか『ラムが壊血病に効く特効薬』という認識が船乗りたちに広まっていきます。
ラムを飲んでいた船の乗組員たちは、全く壊血病にならなかったのです。
当時 船乗りたちは、荒々しいラムをライムジュースと砂糖で割って飲んでいたといわれています。
実際にはライムジュースが、壊血病に効いていました。
ただ、ずっとラムが特効薬だと信じられていたそうです。
ラムは船乗りに欠かせない飲み物となります。
商船や海賊船、海軍などすべての船、そして港街の酒場などにも置かれるようになっていきます。